神経変性を「スペクトラム」として捉える新時代の認知症観
第1章 はじめに
私たちが「認知症」という言葉を耳にすると、多くの場合はアルツハイマー病(AD)やレビー小体型認知症(DLB)、パーキンソン病(PD)のように疾患名で区別するイメージが浮かびます。しかし現在は、「脳変性(神経変性)」の世界を一つの連続体=スペクトラムとして捉える見方が注目を集めています。
”スペクトラム” の意味合い
スペクトラムとは、あたかも“虹のグラデーション”のように、多様な病態が連続的に変化し、重なりあいながら表出するという考え方です。虹の色が赤や青に明確に分かれているのではなく、境目が徐々に移り変わっていくように、脳の変性も「○○型認知症」と単一の名前では割り切れないことが多い、というのがポイントです。
たとえば、ある時期はアルツハイマー病の特徴が強い患者さんが、時間とともにパーキンソン病に近い運動症状や前頭葉機能の変化を示し始めることがあります。従来は「病名がブレている」と見られがちでしたが、近年は混合病理として理解したほうが自然であると考えられるようになりました。
第2章 コンセプト
本稿の中心テーマは以下の2点
- 脳変性疾患をスペクトラムとして捉える意義
- 自己抗体(自己免疫)の視点を活かし、個別のリスク管理を行うアプローチ
脳変性スペクトラムの実例
「すり足」の事例:
すり足歩行で「アルツハイマー病による重度の認知機能低下」と診断されていた患者さんが、ある介入(生活習慣の見直しや特定のリハビリテーションなど)を行った結果、数週間で驚くほど歩行力を回復した症例が紹介されました。
これは、脳機能にまだ十分な“回復余地(リザーブ)”があり、症状の一部は可逆的である可能性を示唆する好例です。一方で、そうした患者さんが数年後には別の変性プロセス(レビー小体型やピック病的変化)を重ねて現れるケースもあり、一人の患者の中で複数の病理が行ったり来たりすることをうかがわせます。
アナロジーとしては、“氷山”に例えられます。見えている症状(表面)は氷山の一角で、下にはさまざまな異なる氷塊(別の病理)がくっついている場合がある、ということです。
自己抗体から探るリスク管理
「自己抗体」というと、一般的には膠原病や自己免疫疾患を連想する方が多いかもしれません。講演では、この自己抗体を「脳変性のリスクを可視化するためのマーカー」として活用する考え方が紹介されました。
・アルツハイマーズリンクス検査(ALX検査)
例えば、アミロイドβ42(Aβ42)に対する自己抗体だけでなく、その交差反応を起こしそうな他の抗原(腸管バリアタンパクや重金属、食品由来タンパクなど)に対する抗体を一括でチェックし、“個人ごとの免疫リスク・プロファイル”を算定します。
この検査によって「どの食品群に対して交差反応が起きやすいか」「血液脳関門(BBB)のバリア機能を壊す可能性のある自己抗体はあるか」などを可視化し、将来的にどのようなアプローチで生活習慣や環境を整えればよいかを検討するわけです。
第3章 スペクトラムを理解するうえでの基礎知識
「悪しき四重奏」―四種類のミスフォールドタンパク
高齢者の剖検研究からは、アミロイドβ42、タウ蛋白、αシヌクレイン、TDP-43が4種類すべて混在しているケース(四重混合病理)が意外に少なくないと報告されています。
・10~20%ほどの頻度で、4種全ての異常タンパクが見つかる
・90歳以上など超高齢者では、さらにこの割合が増える
現実の患者さんの脳内では、こうした異常タンパクが重複して蓄積・誤作動を起こすため、「純粋にアルツハイマー病」や「純粋にパーキンソン病」という単純な区分は当てはまらないことが多いというわけです。
認知症 = アルツハイマー病だけではない
教科書的には、
・アルツハイマー病(AD):アミロイドβ、タウの蓄積
・レビー小体型認知症(DLB):αシヌクレインが主
・前頭側頭型認知症(FTD):ピック病含め、タウやTDP-43異常
・血管性認知症:脳血管障害による虚血性ダメージ
などがありますが、実際の患者さんには複数の要素が重複していることが珍しくありません。
第4章 自己免疫と認知機能
交差反応とは何か
自己抗体が脳に対して悪さをする仕組みのひとつに、「分子擬態(molecular mimicry)」による交差反応があります。たとえばアミロイドβ42に対する抗体が、構造が似ている別の脳内タンパク(タウやBDNFなど)を“間違えて”攻撃してしまうことがあるのです。
こうした交差反応は、
1.感染や化学物質がきっかけで抗体が生成される
2.抗体がアミロイドβ42以外の類似構造をもつ自己タンパクに結合してしまう
という流れで神経炎症を助長する可能性があります。
BBB(血液脳関門)の破綻
人間の脳は血液脳関門(BBB)で保護されているため、通常なら免疫系の攻撃は脳内に入りにくい構造です。しかし加齢や生活習慣病(高血圧、糖尿病)、慢性炎症などによってBBBが破綻すると、血中にある自己抗体や炎症性メディエーターが脳内へ流入し、神経細胞を攻撃するリスクが高まるといわれています。
アナロジーで言えば、“城壁”が崩れて敵軍(自己抗体)が中に入り込みやすくなるイメージです。日々の生活習慣(塩分過多、ストレスなど)がこの城壁を脆くする要因になり得ます。
第5章 講演から学ぶ実践アプローチ
「生活習慣・環境」から始めるレジリエンスづくり
The Lancetの報告(2020年)では、認知症予防・遅延に寄与する12の因子(難聴、高血圧、肥満、喫煙、うつ病、社会的孤立、運動不足、大気汚染など)を指摘しています。講演中にも、免疫レジリエンス(身体の免疫システムを柔軟かつ安定的に保つ力)を高めるためには、これら複数の因子に同時にアプローチする必要性が説かれました。
・難聴の補聴器使用:中年期に補聴器を活用するだけでなく、騒音環境から耳を守るなどの取り組みも含め、聴覚入力を確保することが脳刺激維持に貢献する。
・睡眠改善:睡眠中に脳内老廃物(アミロイドβを含む)の排出が進むという報告があり、深い睡眠の確保が重要。
・ソーシャル・サポート:孤立はうつ症状や認知刺激不足を招きやすいため、家族や地域社会とのつながりが脳には重要な栄養源となる。
個別性の尊重
ひとくちに「認知症」といっても、混合病理の度合いや自己抗体のパターンは千差万別です。
たとえば同じ「アルツハイマー型認知症」と診断されたAさんとBさんでも、
・自己抗体の種類(食品系抗原と交差反応を示すか、重金属との交差反応か など)
・血管リスク(高血圧、糖尿病など)の有無
・睡眠や栄養状態
・家族や介護体制
がまったく違えば、有効な介入策も異なってきます。講演者も「オーダーメイドの介入」や「ストーリーを聞く問診」の大切さを強調していました。
ALX検査の活用例
ALX検査の特徴は、自己抗体の視点から**「脳に何が起きているか」を俯瞰**できる点にあります。具体的には、
・アミロイドβ42抗体
・タウ蛋白、αシヌクレイン、BDNFなどの神経関連タンパク質
・食品由来タンパク質(グリアジン、カゼインなど)
・化学物質(重金属やフタル酸など)
・腸管バリアタンパク(クローディンやアクアポリン)
の交差反応性や抗体価を測定し、リスクの高い要素をあぶりだすことで、食事療法やサプリメント選択の参考にしたり、環境からの有害物質曝露を減らす取り組みに繋げたりできます。
第6章 まとめと今後の展望
神経変性疾患はスペクトラム
従来の「○○型認知症」の分類だけではなく、脳内では複数の異常タンパクが折り重なっている可能性が高いという認識が重要です。
自己抗体と免疫の視点
自己抗体が脳変性に関わるメカニズム(交差反応やBBB破綻など)を理解することで、早期の生活環境の改善や免疫調整の必要性が見えてきます。
オーダーメイド・アプローチ
患者一人ひとりの病態は多層的です。血管リスク、睡眠・栄養状態、社会的つながりなど、すべてが複合的に影響し合うため、「全人的に評価し、個別に最適化していく姿勢」がますます求められます。
日常的な実践の大切さ
基本的な生活習慣(運動、食習慣、補聴器の使用、睡眠ケアなど)は、結果的に免疫・認知機能の両面を支える鍵です。華々しい先端医療だけでなく、こうした地道な取り組みが脳の健康を延命するうえで欠かせません。
今後はALX検査のさらなる精度向上や、交差反応の分子機構解明などが進むことで、脳機能を包括的にサポートする医療モデルが確立されることが期待されます。自己抗体によるリスク管理という新たなアプローチは、認知症の予防と進行抑制において、より大きな役割を果たしていくかもしれません。
参考文献
Livingston G, et al. Dementia prevention, intervention, and care: 2020 report of the Lancet Commission. Lancet. 2020;396(10248):413–446.
Cyrex Laboratories. Alzheimer’s LINX Test – Theoretical Basis.
Karanth S, et al. Prevalence and Clinical Phenotype of Quadruple Misfolded Proteins in Older Adults. JAMA Neurol. 2020.
Ryan RM, Deci EL. Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation, social development, and well-being. Am Psychol. 2000;55(1):68–78.
Braniste V, et al. The gut microbiota influences blood-brain barrier permeability in mice. Sci Transl Med. 2014;6(263).
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